思考法2.0

あるニュース記事や、ブログエントリを見る。以前なら、それはどういう事だろうとか、そこに書いてあることに対する自分の意見はどうだろうとか、まとめ、考え、時には記述したりしたのだけれど、最近は考えない。
考えずに、コメントやトラックバックSBMのコメントを読む。すると、だいたいそこに腑に落ちる意見があって、「あ、そうそう、俺もこう言いたかったんだよ」と思う。思って満足する。言いたかった、つまり同じ結論が自分の中にあってそれを言葉にする労力のみを省いた、というだけではなくて、「俺もこう”考えたかった”んだよ」ということさえ多い。
自分の考えなんて滅多にない。自分の考えが生まれても、それがほかの人と違う事なんてさらにない。ましてや自分の考えの方が優れているなんて。そして思考は、たとえ生まれたのが他の人の中であっても、納得すれば自分のものだ。(しかも間違っていた場合は、他人が考えたと責任転嫁することさえ可能ではないか!)
大抵の事象について、それは考えなくてもいいことだろう?考えても仕方のないことだろう?
私たちがニュースを接種するのは、怒り、笑い、議論したいからだ。怒る理由や笑う理由、思考のネタがほしいわけではない。多くの場合、ただその結論によって引き起こされる感情とコミュニケーションを欲しているだけなのだ。
過程に意味はない。思考の訓練など思春期に数年やっておけばよい。考えることは、ほかの人に任せればよい。

つまり現代はこびとの肩にさえ乗れる素敵な時代ですね。