「食べたものを淡々と記録するよ」が与えたインパクトについて

私の実家は非常に安全なところだ。台風も地震も、さらに言えば戦争も、たいした被害を与えることがなかった。私の30年近くの人生経験によると、台風などの警報で学校が休みになった、ということは数度、あったか無かったか、ほどしかない。台風のニュースを見て、風が強くなると大人たちが庭に散らばっているモノを片づけたりしだすと、「明日学校が休みにならないか」とよく思ったものだったが、実際のところ翌日になると何の被害もなくからっと晴れていてがっかりしたものである。
先日の台風が実に久々に実家の上空を通り、たまたま私は実家にいたため足止めされていたのだが、そのときに母親から聞かされた話が、どれだけこの地が恵まれているかという証明でしかない。
「今の若い人は台風なんて全然怖がらないわね。伊勢湾台風のときはすごかったのよ。近所の溝(横幅、深さ1m程度の川ともいえない溝が数本流れて、川につながっている)が、あふれたんだから」
そして川があふれたことは無かったらしい。「川も溢れそうになったんだから」と主張するが、この地では、60近い母親の経験した一番ショッキングな被災体験が、その程度の話なのだ。

そんな恵まれた環境で育った私にとって「被災地」はテレビの中に突如として出現する異次元空間である。台風に飛ばされそうになりながら中継するレポーター、浸水し半分くらい水没した自動車が走る道路、家が流されている、地震で地面が割れている、電車が脱線している、等々。それは衝撃の映像ではあるが、現実感とは遠い。
頭ではわかっているのだ。それは確かに、この地面のつながった同じ大地の上で今実際に起きている現実の映像なのだ、と。
だがしかし、被災地の映像で映し出される空間や人物は「それまで見たことがないもの」である。日本の家屋が倒壊し、日本人が配給を受けている絵よりも、地球の裏側の911テロで崩壊したWTCビルの方が「それ以前」を知っているという意味で私にとってはショックだった。
想像力の乏しい私の感情を動かすには、わかりやすい「それ以前」と「それ以降」の変化の「物語」が必要なのだろう。
だが「それ以降」の映像の後に「それ以前」を写すというテレビでたまにある手法は、その物語は生産されない。なぜなら私の中に現れた時点で「それ以前」の映像は「あらかじめ破壊が予定された場所」でしかなく、つまりそれ以降を説明するための説明文でしかないからだ。あるいは、伏線のない唐突な物語。
伏線こそが対象に対する感情移入度を大きく左右する。伏線のない、テレビの向こうの「被災地」は私には「関係」が無く、そこに対する同情や義務感は倫理的規律が私の感情を制した上での同情でしかない。計算尽くの、世間の目を気にした上での、同情や義務感である。
ディープ・インパクトの方がすごい映像だった」とか、そういう話ではない。それらは完全に物語の中のものとして認識している。私が被災地の映像に感じる非現実感とそれらに感じるリアリティーとは違う。一番近い非現実感(リアリィー)は、「地球の裏側の絶景」とか「アフリカの奥地で発見された古代遺跡」とか。

こんなことを思ったのは「食べたものを淡々と記録するよ」の話である。このサイトは食べたものの写真を淡々とアップするだけのブログだ。時々思い出したように見ていた。なぜ他人の食事(それもたいして代わり映えのしない)がおもしろいのか、全然わからないのだけれど、なぜだろう、訪れたのは一度ではなかった。そう、これが「伏線」。
そして10/23の新潟中越地震で、このブログの作者であるオオジロウこと大島さんは被災者となられた。彼は新潟県長岡市にすんでいたからである。そのため22日以降更新がなかったのだが、28日には23日からの分をあわせて、今までと全く同じ調子でコメントもなく食事がアップロードされている。

実は、失礼ながら被災地での配給食は、大島氏にとってそれほど特別なものではない。最近は彼女と同棲しているとかで食事が豪華になってきていたのだが、去年の頃の彼の食事は独身一人暮らし男性にありがちな、おにぎりだけとかカップラーメンだけとか、つまり被災地で配給されているものとそう変わらないものであったりする。

このブログには彼の地震に対するコメントなどはない*1。ただ淡々と食べたものが記録されているのみである。
だが、私の感情に与えたインパクトは大きかった。
私は大島氏をそのブログ以外では知らないし「大島というのは実在しないヴァーチャルキャラクターではないのか」との問いに反論できるような情報は持っていない(もちろん実在は信じているが)。
おそらく小説論が論じるような「リアリティー」は、ブログの上で必要はないのだろう。それは私がブログというメディアに関して無防備だからかもしれない。あるいは、前述の通り(私の人生における)「複線がうまく張られていた」からかもしれない。
テレビ報道では感じることのなかった「そこに事実がある」という感じ、被災地のために何かをしてあげたい*2、初めて切実にそう思ったのだ。*3

これは私の善人性を示すためのものではないし、今回の地震の被災地の人々や新潟以外の被災地の人々に対して非常に失礼な視点で書いている。が、個人の感情の記録として記す。

*1:掲示板にはやや壮絶なコメントがあるが

*2:「あげたい」など奢り高ぶった表現だと批判がくるかもしれないがここでは正直に書いておこう。私は安全圏から被災地を「かわいそう」と同情して見ている

*3:その後、中の人のふつうの日記を見つけ、感じていることをいろいろ知ったが、それは後の話