評価はネットで調査


NTTデータは4月16日、ネットを活用してコンテンツマーケティングを行う新会社を設立した。新作アニメなどのコンテンツ案をネットコミュニティに評価してもらい、コンテンツ価値を算出。作品プロデュースも行う。
他人の評価は大切なこと。かつて芸術は衝動であり他者の反応を気にするようなものはクソだと言った人がいたが、そういう人は作品を作っても発表する必要なし。「表現」とは他者に影響を与えるという目的が内在する。「気にしすぎ」という意味で「媚びすぎ」という評価を目にするが、それは「自分に媚びろ、その作品は自分が求めているものと違う」ということ。
他人の表現に接したいと思う理由は何? 私の場合は「新しいものを見たい」。新しい刺激を感じたい。刺激の内容よりも「新しい」の方が大事。新しくないものは自分の中にある。他者に求める必要はない。
でも「新しい」を「楽しめる」かどうかは過去の経験に依存。自分の経験から離れすぎている=楽しめない。数年後に楽めるようになってるかもしれないけど、今はまだ( ゜д゜)ポカーン。
昨日楽しめた映画を今日もう一度見ても「同じように」おもしろいはずはなく。飽きる。昨日とは違う楽しみ方を発見することもあるよ。でもそれは昨日の時点では楽しめなかった楽しみ方。
この記事の中でコミュニティの役割は何だろう。
おそらくそのコミュニティーに属しているのは「マニア」。つまり経験値が高く「新しい」領域は「大勢の人」とは離れている。
彼らがもし「自分達のために」作品を評価すれば、それに沿ってできた作品は「マニアック」なものになり「大勢の人」には楽しめない。それでは制作者だけで評価したときと変わらない。
だからといって「大勢の人のために」作品を評価することを求められているのであれば、彼らは作品を享受する以外の喜び(評価する喜び、評価した作品が成功する喜びなど)を見つけないと仕事は続かない。そう、それは「仕事」でありコミュニティーの本質を変えてしまう。
これは多様化しすぎた現代における表現活動の最大の問題でもある。
まあ、アニメなんて見るのはオタクしかいないんだからオタク受けさえすれば全然OK。でもオタク的でない楽しみ方、つまり新しい喜びも教えて欲しいの。
(文体いじってみましたがどうでしょう)