「電車男」は何がおもしろいか?

電車男の本が出るそうで。で、ドラマ化とか妄想している人もいますが。
あれは「掲示板のログ」としてこそおもしろい作品だと思う。ドラマ化とかは難しいんじゃないかな。なぜならあの作品で「何がおもしろいか」と言うと「2ちゃんねらーの反応」こそがあの物語の肝だから。
確かに心躍る成功譚だが、電車男だけを抜き出しても実は、大しておもしろくないはずだ。「電車男の物語」自体は「独身男の妄想」の範囲内の物語であり、たいした新規性はないからだ。「実話である」という補足がついてこそ多少の希少価値と親近感が出て、おもしろく感じることはできる。が、物語としてみた場合には、ありふれたギャルゲー以下の物語でしかない。
あの物語の特殊性はやはり「2ちゃんねらーの反応」があってこそだ。知りもしない電車男を自分のことのように励まし盛り上げる無数の野次馬達。そこで描かれる「名無しさん」は、「匿名」という言葉に被さっている、陰険で強欲で冷たくずるい殺伐とした、下手をすると犯罪的でさえあるイメージとは別の面、大きなリターンを期待せずにただ援助だけを目的とし「無償の愛」の体現者となっている。
彼らが求める対価は「おもしろいから」以上のものはなく、それはすでに払われている。個人的な体験を報告するという、自分でリスクをきわめて小さくコントロールしながら始められそうな行動によって。自分の持っていない経験と知識の恩恵を受け成功を勝ち取る、それこそはネットワーク、いや図書館や本や、いや「仲間」という概念ができた頃からの、人間の夢ではないか?
読者は、確かに成功を勝ち取る電車男に自分を重ねる。けれどもそれは妄想や他人の経験の中でしかあり得ないと自分では納得している。そのくらいの挫折はすでに経験済みのはずだ。
しかしこの物語では新しい感情移入の対象がいる。シラノ・ド・ベルジュラックのようにつらいわけではない恋のキューピッド役、特に苦にも思わずに知識を提供し成功を導いてくれる至高の存在。
読者は電車男を手助けする「2ちゃんねらー」にこそ自分を重ね合わせる。彼らが電車男を手助けする動機は、2ちゃんねるを見ているような人であれば簡単に納得できる。自分とは何の関係もない報告主「電車男」の行動に一喜一憂し、本気で対策を考える、それは「暇つぶしに」「おもしろいから」。その動機に納得できれば、つまり自分もあのスレの「2ちゃんねらー」になっていたかもしれないのだ。それは電車男と同じ体験をするよりもはるかに確率が高い。しかもあのやりとりは紛れもない事実*1
そう、あのスレッドの2ちゃんねらーは自分であってもおかしくないのだ。あの「無償の愛」を提供する「美しい心」。それは自分の中にもある。自分の「美しい心」を思い出し、「美しい自分」の存在を認識することで、「(匿名の)自分と同じような人の集合」である「世間」に、頼ることも可能かもしれないと思い直す。それはとても心安らぐ体験だ。
あの「2ちゃんねるの話」に「感動する」のは、そのあたりではないのだろうか?
つまりあの話をドラマ化や小説化して、それほどおもしろく話題性が出るとは思えないのだけれどな、という結論。

*1:電車男自体にはネタ疑惑があるけど、祭りを楽しむ人には「ネタでも楽しめ」という方針がある