近さの大きさは少なさに比例する

そこにいるというだけで親近感を感じる大きさがある。
orkutはてなダイアリー、インターネット、パソコン通信。新しく誕生したコミュニティーは、新しいと言うだけで、小さい。見渡せる程度に小さい場合、識別できる程度に少ない場合、それは同時にそこにいる、というだけで特別な親密さを発生させる*1
その親密さは、非常にいかがわしく、魅力的だ。出会い系、そう、そこにあるのは新たな人の出会い。おそらくそのコミュニティーを成り立たせるための基盤となっている趣向は、それほど大切ではない。親密さ、気安さ、出会い、それを生み出すために大切なのは、その他大勢でなくするだけの小ささ。顔の見える距離、お互いの目が合う距離。恋に落ちることのできる程度の「特殊さ」*2
「少なさ」は、「その人の注意をこちらに向けてもかまわない」と思わせる何かを生じさせる*3
うまくいって、人気が出て、大きくなるということは、親密さを生み出すための少なさを失うということである。

*1:人が見分けられるコミュニティーは200人程度が限界という記事ビジネスにつながる「淡いコミュニティー」

*2:バー、同じ雑誌の購読者、異国での同胞、同じ服装、それらは多すぎる人を選別するための道具にすぎず必要なのは選別なのだ

*3:それは責任だろうか、つまり、注意を向けさせるに値するだけの価値を自分は持っているのか、という責任。注意を向けさせる人が多くなればなるほど、持っていないといけない価値の大きさも大きくなる