記名と信用

「blogは記名だから2ちゃんねるより信頼性が高い」みたいなことを書いたら反論もあったのでちょっと考えてみた。
記名性といってもblogなどの「記名」はハンドルだったりする。それでも信頼できるのか? 2ちゃんねるでもコテハンとかいるし。ななしさんでも正確な情報を出す方が多いし。実名で嘘をつく人もいる。そもそもblogなどの場合それが「実名」なのか「ハンドル」なのかわからない場合さえある(たとえば山田太郎小泉純一郎とかはどちらだと判断する?)
実名の情報を重んじるのは、「実名は一生背負っていくものだからそう気軽には汚せまい」と考えているから、だろう。汚名に対するおそれが、人の行動・発言を慎重にし、他人に不利益を与える行動はとりにくいはずだ。つまり、受け手のその「おそれ」が、実名での情報発信に対する信頼になっている。
では、ハンドルなど、簡単に捨てられる名前を背負っての発言には、どう対応すべきなのだろう。
実は、その名前が本物かどうかは重要ではないのだ。実名だったとしても「その人についての情報を知らないと」その人のが信頼できるかどうかわからない。
重要なのは、その名前=ハンドル=識別記号によって知ることのできる「過去」である。過去に、その人物が、どのような情報を発信してきたのか。それが分かることが、名前の価値だ。名前は過去からの一貫性を表し、現在・将来の発言に価値を与える。
2ちゃんねるにおける「ななしさん」の発言が「信用できない」のは、嘘つきが多いから、というよりは、その発言者の過去の発言について知る方法がないために、その発言がネタ・釣り・嘘のつもりなのか、本気で言っているのか、また慎重な人間が言っているのか騙されやすい人間が言っているのか、その判断がきわめて難しいからだ。一つずつの情報についてそれを検討する必要があり、そんな手間をかけるよりは一様に「信じない」という態度をとった方が楽である。
blogなどは掲示板以上に「その人が過去にどのような発言をしてきたか」が検索しやすい、というか検索するまでもなく過去の個人の発言のかたまりであり、記述の態度が、きわめて判断しやすく、またその名前と発言者の結びつきがパスワードで固定されているために「名前と実態の結びつきに対する信頼性」も高い。
「ハンドル」にも歴史はあり、blogなど過去の多くの発言が容易に検索できる装置の上での数年の信用は、実際に面と向き合っている期間以外でのその人の発言を調べることが困難な世界での発言よりも実は信用できるものかもしれない*1

*1:過去の改ざんも思いのままだけどな