ラスト・サムライ

ダメだ(´・ω・`)日本人ならこの映画に、怒るか、無視するかで対処すべき。
冒頭に、「あれ?剣じゃなくて鉾では?」とか思ったり、トムが日本に渡ってくる時点で写る、いかにもCGぽい(漫画っぽい)画面いっぱいのフジヤマそびえるヨコハマ港の違和感がそのままに、日本じゃないニッポン描写に萎える。四国の南部とか九州あたりなら、あんな自然風景なのかな…でも冬は雪に閉ざされるはずでは。蘇鉄と鎧武者の組合せとか、ある意味ファンタステックだが…吉野の里ってどこだよ。奈良じゃないのか? ミカドはやけに簡単に直接口をきくしな… だいたいサムライが鉄砲兵を持ってないってどういうことよ種子島は日本じゃなかった! …まあいいか。いや、よくないのである。これはトム・クルーズ扮するオールグレン大尉が異文化に接しそのすばらしさにふれることで心を癒されるという物語なのだから、その異文化への「あこがれ」を観客に持たすことができなければ映画として失敗なのだ。と言う意味で日本人には不向き。
いや、それ以上に! 「サムライという滅び行く種族の戦いを描いている」という時点で萎える。ブシドーは「いさぎよし」をよしする価値観だろう? ハリウッド的「ネバーギブアップ」に毒されてあんなことに… その上で「日本の伝統を忘れるな」とか言われても… 正直なところカツモト一人でうまくハラキリすればラストは同じようになったと思われ。
そうか、これは帝国=近代の郷愁の物語なのだな。近代化の命令に従いインデアンを虐殺した大尉が、同じく「近代に滅ぼされる種族」サムライに接し、今度は自らの意志で共に戦ったことで満足する。ブシドーとかニッポンとかはジェダイの教えと同じように神秘的で逆説的で意味不明であるほどに魅力的なので本質的なことは何一つ語られず、それが美しく魅力的である(あった)ことだけが語られる(自然風景とか、鎧武者とか、風俗とか、小雪とか)。意味不明なのは当たり前で近代に属する我々が滅ぼしてしまった今はもう無い知識体系であるのだから。
殺陣は思いの外かっこよかった。

ですが、この『ラスト・サムライ』は、いわば「政治的リベラル」の立場からの強烈な日本へのラブコールなのです。「日本の軍国主義は悪かった。でも日本そのものが悪であるはずはない。日本に良い部分があるなら伝統文化の中にあるはずだ。ならば日本の精神的な伝統と思われる『武士道』を現代でも受け入れられるよう『良きもの』とする解釈はできないだろうか」という思いの結果できあがったのが、この「人工スパイス」がふんだんに振りかけられた『ラスト・サムライ』というわけです。