世界の目的

科学で世界を知ることができるという信念は、自然科学の諸法則こそが神の意志であるという信念に基づいている。神の意志は会得できる。問いの繰り返しによって再帰的に巡回するように見えるその探求は、しかし神の目から見えれば単純な直線を描いて見えることだろう。問いを発すること自体が神への理解不足の表れなのだ。それはそのようになるべきであるから、そのようになっている。その感覚を得ることこそ、科学の本質的な目的である。科学とは神の力を獲得しようとする学問ではない。我々が不幸を享受せざるを得ないのは、神への理解が足りないからだ。そう考えて科学を目指す人々よ。しかしあなたの使命の達成はあなたを不幸から救いはしない。科学の終わりは神のごとき力を得るということではない。確かにその知識は我々に世界の急所を教える。それを知る者はそれを押すことにより世界に変容を加えることができる。だが、より深く理解するにつれ、我々はその急所を押す意志をなくす。神の意志はまったき物であったと知るその瞬間に、我々は我々のなすべきことをなくすのだ。我々の不幸はなるべくして成っている、ある一点を変えることによりそれが変わるとしても、それにより世界に変容を加える意志よりも、世界を受け入れる意志の方が完全であることを、あなたは神の意志として受け入れてしまうからだ。