レッシグ*1教授の講演

http://ittousai.org/lessig/
http://slashdot.jp/article.pl?sid=03/04/09/0122222
感動した。
我々の想像力は削られ続けている。我々は何を手をこまねいて待っているのか。教授自らが要約してくれた「リフレイン」をここに引用する。

  1. 創造とイノベーションは常に過去の上に築かれる。
  2. 過去は常にその上に創造されるものを支配しようとする。
  3. 自由な社会はこの過去の力を制限することで未来を可能にする。
  4. われわれの社会は日々、自由を失ってゆく。

著作権」という”表現”を保護する目的で制定された制度が、今や”表現”を独占しようとする既得権企業によって拡大解釈され、既得権企業に属さないものの”表現”を奪いつつある。
ここで言う”表現”とは人間のあらゆる行動そのものだ。この講演ではプログラムコードを書くこと。ある場合は絵を描くこと。ある場合は鼻歌を口ずさむこと。そう、あなたが鼻歌を歌ったその瞬間に、仕掛けられたセンサーがそれを感知し、あなたに楽曲の使用料の請求書を送りつける、そんな日も本当に遠くはないのだ。


この講演のもう一つの主張は、我々は我々を代弁する政治家、つまり実践的政治力を早急にもつ必要があると言うことだ。
代表制民主主義に置いてほぼ唯一の民意反映の手段である選挙はつねに妥協でしかありえない*1。であるが故にこの講演の対象となっている明確な論理を好む技術オタク達にとっては忌むべきものである。しかし、だからといって政治に無関心でいるわけにはいけないのだ。政治は我々を支配しており我々は妥協によって形成された世界の中に住んでいる。我々の代弁者を立てなさい。彼に発言力を与えなさい。献金や投票や日常的な支援において。

力を貸して欲しい。泣き言によってではなく、「もっとメインストリームに!」と書いた小切手を送ることで。小切手だ、いいかい?これが、この戦いを変えるために君たちが慣れなければならない考え方だ。

ここで「結局カネかよ」と思ってそっぽを向いてはいけない。結局カネなのだ。政治、政治資金、カネを集める行為。多くの人がうさんくさく思いそこで思考を停止してしまう、これらをうまく操れてこそ「我々の望む未来」をつかむことができる。今の世の中は、そういう風にできている。それらの手段を利用するしかない。

参考:レッシング教授が反対していた著作権期間延長法は結局合憲だと判断され、ミッキーマウスの保護期間は未だ切れません。これを「制作者の権利を保護し、安心して文化を発展させる環境を作っている」とみるか「制作できたはずの表現*2を不当に奪い取り、文化の発展を阻害している」とみるかの違いを教授は説いているわけです。
http://www.zdnet.co.jp/news/0301/16/nebt_14.html
http://www.hotwired.co.jp/news/news/20030117107.html

参考書
ローレンス・レッシグコモンズ』、『CODE ― インターネットの合法・違法・プライバシー

*1:本人が立候補するという以外では、候補者の意見の一部には賛成であるが一部には反対という状況が常に存在するということ

*2:(『白雪姫』のディズニーによる語り直しのような)ミッキーマウスのパロディーや語り直し、ミッキーによく似たネズミの話など